代表作である『
中世的世界の形成』は戦前に脱稿していたが、戦時中の空襲で自宅と共に原稿は焼失した。しかし、敗戦により今こそ発表すべきと考えた石母田は自宅にこもり、雨戸を閉め切ったまま一夏で再び書き上げたという「神話」は今でも多くの大学で指導教官から学生に語られている。文庫版の解説(
石井進執筆)では、「昭和19年10月に暗幕を下ろした自宅の一室に籠り、約1ヶ月で原稿用紙約700枚分の原稿を書き下ろした」と本人が語っていたとのことである。
今日では石母田の唯物史観に対しては批判的な意見もあり
[網野善彦、石井進編『日本の中世6 都市と職能民の活動』 中央公論新社、2003年、ISBN 4124902158 、美川圭 『院政』 中央公論新社、2006年、ISBN 4121018672 など]、一方で生前の石母田は古代史、国際関係史を中心に
西嶋定生ら史的唯物論には与しない研究者の学説を積極的に取り入れたことから、逆に唯物史観に立つ研究者から石母田への反論が出された
[鬼頭清明『日本古代国家の形成と東アジア』、1976年、鬼頭清明『日本古代史研究と国家論―その批判と視座』、1993年、ISBN 440602171X]こともあったが、
皇国史観の強要とその崩壊によって停滞と混乱の最中にあった戦後の日本史学界に大きな一石を投じて、その再建を促したことは否定できない。