昭和17年(1942年)に天津教の
不敬罪裁判で、いわゆる
竹内文書について
狩野亨吉とともに検察側証人として
上代特殊仮名遣の観点から竹内文書の
神代文字を否定した。上代特殊仮名遣は、橋本が独立に発見し、その後
石塚龍麿の『仮字遣奥山路』の記述の価値を見いだし、顕彰したとされるが、安田の研究により、
本居宣長や
石塚龍麿らの研究にしたがっていることが確認されている(安田尚道「石塚龍麿と橋本進吉??上代特殊仮名遣の研究史を再検討する」『國語學』54.2 (2003): 1-14)。