1556年、
カール5世は息子の
フェリペ2世にスペイン王位を譲位した。カール5世の治世は、その確固たる政策にも関わらず、
ネーデルラントの社会変革や宗教改革の影響を受けた。それでも、カール5世はネーデルラントで生まれ育ったために
フラマン語、
フランス語、
スペイン語を流暢に話し、
ドイツ語も少し話すことができたが、フェリペ2世は
スペインで育ったためにフラマン語もフランス語も話すことができなかった。フェリペ2世の治世下では、増税や
カルヴァン主義の拡大、中央集権の強化によって“緊張状態”が強まっていった。さらに、フェリペ2世の妥協しない姿勢によって、“緊張状態”は独立戦争へと向かっていくこととなる。
ネーデルラントにおいて揺るぎない行政と王権への忠誠を確立するために、フェリペ2世は貴族の代表を、
ネーデルラント17州の北部を統治する
三部会に招聘した。また、フェリペ2世は、異母姉でフラマン語とフランス語を話すことができる
パルマ公妃マルゲリータを総督に指名し、
アントワーヌ・ド・グランヴェルをその補佐に任命した。しかし、
1558年を境にして三部会は、フェリペ2世の要求を拒み始めるようになり、新たな課税を否決し、スペイン軍の撤退を求めるなどした。フェリペ2世に対する抗議はその後、グランヴェルの政策に対する抗議へと変わっていった。