一方、
日本語では
戦前から長く西蔵とチベットはほとんど同義であるかのようにして用いられてきており
[青木文教「チベット」『東洋歴史大事典』中巻、平凡社、1938年(復刻:臨川書店、1986年)、p.1137]、「チベット自治区」と「西蔵自治区(チベットじちく、シーツァンじちく、などの読みが見られる)」という二つの呼称が平行して使用されてきた。もっとも、近年の日本政府関係資料や日本のマスコミの用法では「チベット自治区」の呼称がより多く見られる
[例えば、[外部リンク] 外務省 など]。本項の項目名も、こうした傾向に依拠している。ただし、「チベット自治区」という呼称を政治的な問題から嫌う向きもあることは後述するとおりである。
政治的単位としてのチベットが、歴史的・文化的なチベットの全体ではなく、中国によって設定された行政区域であるチベット自治区(西蔵自治区)と同一視されることもしばしばある
[例えば、日本語の代表的な事典では、『マイペディア』、『ブリタニカ国際大百科事典』などがチベットとチベット自治区を区別せずに立項している。]。こうした視点は、そもそも前述の日本語における戦前からの「チベット」の意味合いから逸脱したものではない。しかしながら、「
中国主権下での自治」に関する中国政府と
チベット亡命政府の交渉において、歴史的・文化的なチベット全体の一体性の回復を要求する亡命政府側の要求に対して、中国政府が政治的なチベットの範囲をチベット(西蔵)自治区の領域(西蔵)のみに限定しようとする立場を取ることと軌を一にするものとする指摘もある。例えば、中国政府が日本語で出版する文献中の、西蔵部分のみを指す「
チベット地方」という用語や、西蔵部分のみを領域とする自治区に対する「チベット自治区」などの用語は、中国政府の上記立場を忠実に反映した呼称である。この問題に関しては、
西蔵及び
雍正のチベット分割も併せて参照のこと。中国政府のチベット政策に反対する人々は、チベットとチベット(西蔵)自治区の同一視に対して異議を唱えている
[ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 “[外部リンク] チベットを知るために/チベットの概要”]。